今日、4月15日。コロコロコミックの2026年5月号が書店に並んだ。
いつもと変わらないように見える表紙。でも、その中には「長い間応援いただき誠にありがとうございました」という一文が添えられていた。「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」が、今号をもって最終回を迎えた。
コロコロコミックとドラえもんが歩んだ49年間が、今日幕を下ろした。
まず誤解のないよう整理する──「ドラえもんが終わった」わけではない
SNSでは「ドラえもん終了」「最終回」という言葉が飛び交っているが、正確には少し異なる。
今回終了したのは、コロコロコミック誌上での「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」という再掲載枠だ。藤子・F・不二雄先生が1996年にご逝去された後、2002年から始まった「過去の名作エピソードを毎月1話掲載する」というコーナーが、今号で幕を閉じた。
テレビアニメはテレビ朝日で引き続き放送中。映画も2026年2月に第45作「新・のび太の海底鬼岩城」が公開されたばかりで、ドラえもん自体が終わるわけではない。
ただ、「コロコロコミックで毎月ドラえもんの漫画が読める」という環境が終わった。その重みは、決して小さくない。「ドラえもんが終わった」と思って悲しんでいる人も、「再掲載が終わっただけでしょ」と冷静に見ている人も、それぞれの気持ちに間違いはない。コロコロでドラえもんを毎月読んできた人にとっては、確かにひとつの時代の終わりなのだから。
コロコロとドラえもんは、最初から一緒だった
月刊コロコロコミックが創刊されたのは1977年4月のこと。創刊当初から「ドラえもんが読める雑誌」として打ち出され、ドラえもんはコロコロの看板作品であり続けた。当時の創刊号の表紙にもドラえもんが大きく描かれており、漫画家の能田達規氏は「当時の圧倒的なドラ人気を物語っている」とコメントしている。
ドラえもん原作の連載自体は1969年12月(1970年1月号)から小学館の学習雑誌6誌で始まり、その後コロコロコミックでも連載が続いた。子どもたちにとってコロコロは「ドラえもんを読むために買う雑誌」でもあり、毎月の発売日を心待ちにしていた人も多かったはずだ。
1996年9月、藤子・F・不二雄先生が62歳で急逝された。これにより原作の新作連載は終了したが、2002年4月号から「名作劇場ドラえもん」として過去のエピソードの再掲載が始まった。2008年8月号には「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」に改題され、今日に至るまで毎号欠かさず掲載されてきた。
コロコロ創刊から数えると49年。原作連載開始から数えると57年。それだけの時間を、ドラえもんはこの雑誌と共に歩んできた。「コロコロといえばドラえもん」という等式が崩れる日が来るとは、創刊当時には誰も想像していなかっただろう。
振り返れば、コロコロコミックの部数が最も多かった1990年代には月250万部以上を誇っていた。「小学生がいる家には必ずコロコロがある」と言われていた時代だ。その中でドラえもんは、常に筆頭コンテンツとして誌面の中心に座り続けた。それが49年という歳月の積み重ねだ。
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最終回のエピソードは「時門で長〜〜い一日」
最後を飾ったエピソードは「時門で長〜〜い一日」。てんとう虫コミックス第31巻に収録されている作品だ。「時門」というひみつ道具が登場する物語で、時間を自由に調節できるドアを使ってのび太が長い一日を過ごすという内容だ。
「時門」は、ドアを通り抜けることで時間の流れ自体を変えられるという道具だ。好きな時間を何度でも繰り返したり、逆に退屈な時間を一瞬でスキップしたり。のび太はこの道具を使って「長い一日」を満喫しようとするが、案の定うまくいかない。そういう普通の日常の可笑しさが、原作ドラえもんの真骨頂だ。
最終回に向けた描き下ろしや特別演出があったかは現時点では確認されていないが、誌面の最後には編集部から読者へのメッセージが添えられていた。「長い間応援いただき誠にありがとうございました」という言葉とともに。
タイムスリップや時間の伸び縮みをテーマにしたエピソードで締めくくるのは、どこか意味深に感じる。ドラえもんの物語は、時間を超えて続いてきたのだから。コロコロでの49年という時間もまた、ひとつの「長〜〜い一日」のようなものだったのかもしれない。…いや、さすがにこじつけすぎか。でも、こういうことを考えてしまうのが、ドラえもんという作品の持つ引力だと思う。
子どもが漫画でドラえもんに触れる場所が減る
SNSでは「寂しい」「コロコロからドラえもんが消える…!?」という声とともに、ある視点の反応が目を引いた。「今の子どもがドラえもんの『漫画』に触れる貴重な機会が…」というものだ。
アニメのドラえもんは今も大人気で、毎週テレビで見られる。映画も毎年公開される。グッズも玩具も溢れている。でも、活字とコマ割りで表現された「漫画のドラえもん」を毎月定期的に読める場所は、コロコロコミックが最後の一つだったかもしれない。
てんとう虫コミックスは今も書店で買えるし、電子書籍でも読める。でも「今月号のコロコロを買ったら、ドラえもんの新しい(再掲載の)回が読めた」という体験は、今日から生まれなくなる。その体験を積み重ねてきた世代にとって、これは少し違う種類の喪失感だ。
思い返すと、漫画を「読む習慣」は、こういう定期購読の体験から始まることが多い。毎月コロコロが届く、あるいは書店で買ってもらう。その中にドラえもんがある。読み終わったら次の号を待つ。その繰り返しが、漫画好きを育ててきた。今後の子どもたちが漫画に親しむルートが、また一つ細くなったように感じる。
アニメと漫画は、似ているようで違う体験だ。アニメは声と動きがあり、テンポよく物語が進む。漫画はコマを目で追い、セリフを自分のペースで読み、余白から想像を膨らませる。同じキャラクター、同じ物語でも、届き方が違う。子どもたちが漫画のドラえもんに出会う機会が少なくなるのは、単純に惜しいことだと思う。
終了の理由は「編集部の方針」──その背景は
コロコロコミック編集部は終了の理由について「編集部の方針」とのみ説明しており、詳細な背景は明らかにされていない。
想像される背景はいくつかある。コロコロコミックを取り巻く出版環境の変化、デジタルコンテンツへのシフト、誌面リニューアルの検討──どれも可能性としてはあり得るが、現時点では推測の域を出ない。
コロコロコミックは現在も「ポケモン」「ベイブレード」「コロコロアニキ」など多彩なコンテンツで子どもたちに支持されており、雑誌そのものが終わるわけではない。ドラえもんの再掲載という形が、その役割を終えたということかもしれない。
一方で、再掲載というフォーマット自体の限界も考えられる。藤子・F・不二雄先生が残されたエピソードは数百本に及ぶが、毎月1話ずつ掲載を続ければ、ある時点で「掲載できる新鮮なエピソードが尽きる」という問題が生じる。2002年から24年間続けてきた今、編集部が「一区切り」と判断したとしても、不思議ではない。理由を詮索するより、49年という時間に敬意を払う方が大切な気がする。
ドラえもんはこれからも続く
改めて整理しておく。コロコロコミックでの掲載は今日で終わったが、ドラえもんは終わらない。
テレビアニメはテレビ朝日で毎週放送が続く。2026年2月には映画第45作が公開され、好評を博している。てんとう虫コミックスの単行本は全45巻が今も手に入る。電子書籍でも読める。ドラえもんというキャラクターと物語は、漫画家・藤子・F・不二雄先生が残した完成した世界として、これからも読み継がれていく。
1969年から始まった物語は、紙の上では47年前に書き終わっている。でも、ドラえもんはまだあちこちで生きている。子どもたちの記憶の中でも、お父さんお母さんの思い出の中でも、そして毎週テレビの前に集まる家族の中でも。
個人的な話をすると、僕がドラえもんの漫画を初めてちゃんと読んだのは小学生のときで、親に買ってもらったてんとう虫コミックスだった。スネ夫がやたら腹が立って、ジャイアンはなぜか憎めなくて、のび太はいつも自分みたいでむず痒かった。藤子先生が作り上げたあの世界は、今も誰かの心に同じように刺さっているはずだ。そしてこれから先も、初めてドラえもんの漫画を読む子どもは生まれ続ける。コロコロで読むかどうかは関係なく。
コロコロコミックで毎月ドラえもんを読んできた人たちへ──49年間、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。コロコロは続く。ドラえもんも続く。形が変わっても、あの青いロボットはどこかにいる。


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